JUMEAUX OBSCENES Respect a SPANK HAPPY


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カヒミ・カリィ NEW
 1968年3月15日生まれ。本名は、Hiki Mariで、kahimi karieは本名をアナグラムしたもの。1990年、fab gearの“新アイドルを探せ”で、嶺川貴子さんとのユニット"FANCY FACE GROOVY NAME"でデビュー。1992年、シングル"Mike Always Diary"でソロデビュー。1997年、生活拠点を東京からパリに移す。「ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ」にナレーションで参加。→公式サイト
花粉症
 SPANK HAPPYは二人とも、半端じゃなく重症の花粉症なのである。春には、揃って病院に行くらしい。
歓楽街
 菊地さんの生まれた街。単に賑やかな街を指すのではなく、そこには別の心象風景が数珠繋ぎでミニマムに浮かんでいる。
菊地成孔
 SPANK HAPPYのリーダー(と言うのか?)。63/6/14 千葉県生まれ。AB型。身長167cm。足のサイズ24.5cm。小学生でファゴットに出会う。専門学校でサックスに転向。橋本一子グループを経て、山下洋輔トリオ歴代5人目のサックス奏者に。同時期、今堀恒夫率いるプログレバンド、ティポグラフィカにも参加。更に現在のSPANK HAPPYの前身、オリジナルの(?)SPANK HAPPYを、原ミドリさん、河野伸さんらと3人で結成(94年〜)。99年に大病(壊死性頸部リンパ結節炎)を患い、一時全ての活動休止。現在は、神経症と共存しながら、多方面で活躍中。公式サイト
共産主義ハウス
 途中をちょっとだけ切り取って聴くと、わくわくするんだけど、全部聴くと必ず寝る音楽。繰り返せば、CMくらいには使えそうですが。
キング・レコード
 現在、SPANK HAPPYと契約しているレコード会社。公式サイト
クールホイップ星
 過去に、「図書新聞」で連載されていた、菊地さんによる小説「クールホイップ星の陰惨でなめらかな4万年戦争とその甘い終結」のこと。毎回、瞳ちゃんの写真が付けられていた。初回の写真は、横浜のタカノ・フルーツパーラーで洋梨のパフェを食べているカット。どっちの案が先に出てきたのかは不明。主役の女の子は“イトミ”。ロマンス語圏では、Hを発音しないので(舞台は東京のようだが)、明らかにHitomiの事を言っている。出身地がヨーロッパの何処かなのかも知れない。この小説の前編が、「(パタル・パタフィジークによる)危機の数は13 」である。
クイック・ジャパン
 新生SPANK HAPPYになり、まだ何処のレコード会社とも契約していない時から、このユニットを、大フィーチャーしている雑誌。公式サイト
(苦笑)
 菊地さんの日記に多用されている表現。JUMEAUX OBSCENESはとても気に入っている。
河野伸
 初期SPANK HAPPYのメンバー。現在、モーニング娘。他、つんくファミリーや、m-flo、SMAPのアレンジャーとして、大活躍である。
後関好宏
 通称、ゴセッキー。78年生まれ。テナー・バリトン&ソプラノサックス奏者。97年頃、尚美短大音楽学科(クラシック)在学中に学科を越境し、同校講師である坪口昌恭に出会う。坪口氏など経由で、ジャズサックスを菊地成孔に師事することとなる。クラシックサックス及び室内楽は雲井雅人氏に師事。現在 DCPRG、東京中低域、カリストEXP、ジャンキージャンクションビックバンドジャズ等に参加。最近も使っているのかは分からないが、「ゴセッキー・まちゃる」と言う名前で出ていることもあるようだ。以前の後関氏のサイト名は、「☆後関好宏☆まちゃるーむ☆」だった。公式サイト
ゴダール
 ジャン=リュック・ゴダール(JEAN-LUC GODARD)。1930年、フランス、パリ生まれ。映画監督。1950年台初頭、映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』を拠点に批評を投稿誌しまくり映画批評家となる。助監督経験を得ないでいきなり撮った長編『勝手にしやがれ』(60年)で、フランス映画界のみならず、世界に衝撃与え映画界にデビューする。、映画史上に残る映像革命≪ヌーヴェル・ヴァーグ≫の中心人物。60年代後半から、急激に作風が政治に近づいていったり、新しい手法や独特の表現で(「音と映像のゴダール」と呼ばれている)、「難解」だとか「眠い」だとか言われている。
コンビニ
 菊地さんは鉱水とサインペンを、瞳ちゃんはお菓子を買いに行くところ。最も身近な場所のひとつとしての記号。