2007年08月12日
適当な対応/適切な対応
何かに怒っていたり悩んでいたりする(そして、それを訴える)人に対しては、きちんとその話を聞いて理解し、一緒に考えて助言や(時には)意見を述べる、というのが適切な対応だと思う。まあ時と場合によるのだけれども。
話はろくに聞かず、中途半端にしか理解せず、ただただ相槌と全面的な肯定しかしない(「そうだよねえ、酷いねえ、頑張ってるのにねえ、絶対あなたが正しいよ、そのままで問題無いよ、うんうん」というような)適当な対応は絶対に良くない筈だ。
私はできるだけ前者的な態度でいたいと思うし、そう心がけている(けれどもそれはなかなか難しい)のだけれども、往々にしてそれでは何の役にも立たないことが多い。どころか、矛先がこちらに向いてきたりさえする。
また、どうでも良い相手に対しては圧倒的に後者的な態度で臨むが、結果としてそのほうが相手も喜んでうまく収まったりしてしまう。要するにただ愚痴りたいだけなんだから適当な対応をしておけば良いんだよ、というパターンだ。
しかし、どうしても適当な対応は相手を馬鹿にしているように思え、大切な友人等には(きっと適当な対応のほうが良いと思うような局面でも)真面目に口を挟んでしまう。で、失敗する。
そして同じ人に対して何度かそういった経験を積むと、いつの間にかその人には適当な対応しかしなくなってしまう。気付くと例の「そうだよねえ、酷いねえ、頑張ってるのにねえ、絶対あなたが正しいよ、そのままで問題無いよ、うんうん」的な台詞を吐いていたりするのだ。いかん。
ところがもっと怖いのは、自分自身が他人に適当な対応を求めてしまうことだ。ふと気付くと『ただ話を聞いてほしいだけなのに』とか『なぜ意見されなきゃいけないんだ』等と考えている。それなら黙っていれば良いのに。
そうならない為にも、大切な人に対して話も理解せず安易に慰めたり、ただただすべてを肯定したりといったことだけはするまい。
と、思いました。
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うわ、これ凄くよくわかる。
適当にならないところの区別って、
どっちの態度をとるにせよ曖昧で難しいよね。
で、性別で無理やり分けるとね、
男性→意見、助言、解決策を述べる(かつ聞きたい)
女性→相槌と全面的な肯定(=共感より共鳴)を望む
なんですって。
いっつも意見言ったり言われたり、が大好物な
アタクシはどうなるんですかね。
>yukh
ほほほ。立派な男っぷりですことよ。
まあ、面倒くさくて適当な態度を取るんじゃなくて、適切に適当な態度を取る、っていうのができれば良いんだけれどもね。
難しいよね、うん。